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大塔宮尊雲親王の鶉隠れの術 [うずら隠れの術]

万川集海より

大塔宮尊雲親王が南部の般若寺に隠れていた時、按察法眼好専が500余貴騎を率いて般若寺に押し寄せてきた。宮側の味方は一人もいなかったので、隠れる事にした。仏殿内を見渡すと、大般若の唐櫃が3つあった。2つの櫃はまだ蓋は閉じたままで、残りの一つは御経の半分過ぎを取り出して蓋が開いていた。親王は蓋が開いていた櫃の中に小さくなって隠れ、その上に御経を引っかけて隠形の呪いを心の中で唱えた。見つかったらすぐに腹を切ろうと思い、刀を抜いて腹に刺し当てていた。兵は仏殿に乱入して、仏殿の下、天井の上まで隅々まで探し尽くした.蓋をしていた2つの櫃を開いて底を翻したが、宮は入っていなかった。親王はまた兵共が引き返して詳しく探すかもしれないと思って、前に探した櫃に乗り換えて隠れていた。案の定、兵共がまた来て仏殿に上り、先に蓋を開いた櫃は見去って、蓋が開いていた櫃の中の御経を皆取り出した。突然兵共はからからと笑って、「大塔宮ではなくて、大唐の玄奘三蔵がおられた」と戯れ、兵共は皆一同に門外に出て行ったという。

参考HP:地域に名を残した大塔宮護良親王
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見つかっても動かぬ事 [うずら隠れの術]

万川集海より

当国の忍者(水破)が城に忍び込んで安心していたが、夜廻りが来たので空堀の中に転びこんで鶉隠れの術でうつ伏せになった。夜廻りの者は、堀底に居る忍者をおぼろげに見付け、槍で突いてみた。槍の刃先は忍者の腹を突き抜けたが、忍者は少しも動かなかったので、夜廻りは「動かないので問題なし」と言って立ち去った。
その後、忍者は城に火を放って焼き揚げたという。
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うずら隠れの術 [うずら隠れの術]

1676年に書かれた忍術書「万川集海」に、「うずら隠れの術」が出てきます。

鶉隠れの事
「鶉隠れとは手足を屈めて首を引っ込め、物の近くに擦り寄って、寒い夜に霜の音を聞くように伏せて隠形の呪を口の中で唱えて隠れる事である。」

「うつ伏せで顔を隠せば敵が見えないので精神を統一し、心も鉄になれる」とも書いてあります。
うずら隠れの術により、敵に見つからなかった話が2つ紹介されています。
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